就職してうつ病になった私が退職してワーホリへ行った前の話。

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このブログで話すこと。「英語勉強、ワーホリ、カナダ、そして人生」について

みなさん、ポジティブアドバイザーのうたこです😉

改めまして、うたこのブログへようこそ✨

こちらでは皆さんに、

ポジティブアドバイザーうたこの遡ること約10年のSTORY

をシェアしていきたいと思います💙

このブログでは私が専門学校卒業後に某映像会社での激務を経験し、心が折れ、ワーホリに出発した経緯から、日本に帰国し再就職し、その後の仕事についてなど幅広くご紹介していきたいと思います✋

そしてそんな人生経験を通して培った物事の「ポジティブな考え方」なども発信しております✨

更に、英語力ゼロの私の当時の英語勉強方法やその後日本に帰国し再就職してからの英語上達法、便利な英語フレーズなど実用的なこと、他にも英語習得のために必要な精神論も綴っていますよ!

あっ、基本、精神論です💙

物事を前向きに、Positiveに運ぶための考え方をうたこ論としてお届けしています✨

大事なのは何よりも「気持ち」です!「思い」です!

私はこの精神論を30年間大切にしてきたのです!

Positiveな気持ちは、あなたを幸せにします。

そしてあなたの周りの人をも幸せにするのです✨

英語を習得するにも、おもいきってワーホリへ行くのも、留学しに行くのも、全部熱い思いがあってこその事ですから✨

その思いがなければ成功するものもしないのです💦

こんなPassionの塊のような私ですが、ここまで来るには本当に波乱万丈なSTORYがあります。

今となって自称「ポジティブアドバイザー」なんて名乗れちゃうほどの「思考」を身に着けることが出来ましたが、初めからそうだったわけではありません😢

ここからは私のSTORYです💙

うたこがワーホリ行きを決意するまで、「英語」に出逢う前のお話をはじめます💙

英語勉強に出逢う前の私の人生

高校部活引退から大学受験

私は大学受験に失敗しまして、高校卒業後は専門学校へ入学いたしました。

何故あそこで浪人しなかったのだろう…と思います。

浪人してしっかり勉強していれば志望の学校に入れたでしょうし…あっそこまでレベルの高い学校ではありませんよ💦

そもそもそこですぐに専門学校を選択した私はあまり将来の事をきちんと考えれていなかったんだと今となっては思います。

「やりたいこと」、「したいこと」、「伝えたい思い」、そんなものに溢れていた当時の私は世間知らずでお金の大切さも知らない18歳でした。

ただ、ただ、立ち止まりたくなかったのでしょう。

大学のために浪人するということが走り続けてきた人生の中で立ち止まる時間のように感じてしまった私です。

高校は部活動に明け暮れ「勉強」は全然しませんでした😣

ですが、3年生の夏の大会で部活動を引退した後、ひたすら向き合ってきた「部活動」というものを失った私は意外にも次の目標をすぐに見つけました。

見つけなくちゃ気が済まなかったんだと思います。何かに向かっていつだって走りたかったから…。

それが「大学受験」。

大学に行こうなんて考えたことはなかったんですけどね…✋笑

部活一本で高校生活をしてきた私の成績は非常に悪く、大学に行きたければ一般入試で合格するしかありませんでした。

部活引退後すぐに親に予備校に入れてもらい、そこから必死の勉強が始まります。

1番好きになったのは英語、2番目は政治経済でしたね。

やはり英語には何かしらの縁があったのだと思ってます💗

他の科目に関しては、勉強しているフリだけしていました✋笑

その時は「合格」を目指して、これまで部活に向けていたエネルギーを勉強にぶつけました👊

でも、心のどこかで「絶対に受からない」と思っていたような気もします。

物事に取り組むうえで気持ちは確実に影響を及ぼします。

心のどこかでそんなふうに思っていた、何かに気づいていた私の大学受験は見事全敗に終わりました。

さて、どうしよう。

そして私が次に親にお願いしたことは以前から興味があった映像関係の専門学校への入学です。

この時、親とはだいぶぶつかりました。

「何故そんなこと急に言い出すんだ?そんなことに興味があるなんて一度も聞いたことない」

「大学への思いはどこへ行ったんだ?」

「留年すればいいじゃないか!」

まぁ、そうなりますよね…(笑)

父親は留年しても良いと言ってくれていたのにも関わらず、私は専門学校への願書を提出しました。

本当に「お金の大切さ」や親の「助言」のありがたさなど何もわかっていない18歳でした。

ですが、その分野に入れば、新たな事が始まれば、どんなときも一生懸命になれる私です✨

2年間の映像関係の専門学校での生活は非常に充実したものになったと思います。

ここの話は非常に長くなるので割愛しますが卒業式では代表で答辞まで読ませて頂き2年間に幕を閉じました。

専門学校卒業後、映像関係の会社へ就職

卒業後にはすぐに映像関係の会社へ就職が決まり、社会人生活が始まります。当時20歳です。

ここからが私の人生の一番の「暗黒期」です。今のところですが、1番です。

これ以上辛い時期はもう人生で訪れないだろうと思っています。

憧れた業界での仕事は安月給の長時間労働でした。

今でいうと「ブラック企業」と言われてしまうのかもしれません。

しかしこの業界ではまぁ普通のことでした。

「お金を貰って勉強させてもらっているのだからありがたい」という考え方が根底にあり、残業ももちろん無賃でしたが、私もそれを当たり前だと思っていました。

当時、仲間とふざけて私の時給を計算したことがありました。

なんと、100円くらいでしたよ💦

でも、「学べることが沢山ある」と前向きに頑張りました✨

理不尽なことや、明らかにおかしなことも沢山ありましたが、当時は全く気付いてなかったのです。

「若い頃は苦労は買ってでもしろ」と言います。

「その通りだ!」と、頑張りました。2カ月くらい休みがなかった時もあります。

もちろん代休も無ければ、休日出勤の手当もつかないです。

でも私は、沢山勉強させてもらっている、これを乗り越えたらもっといい仕事を任せてもらえるのかも!などとかなり前向きに考えていました。

しかし身体はきついです。

遅すぎて終電に乗れない日も多く、会社の近くへの引っ越しを決意しました。

この頃からでしょうか。

どんどんカラダと心と仕事のバランスがとれなくなっていってしまいました。

友達とも遊べない、仕事も楽しめない、体は辛い、腰が痛い、何よりお金もない。

振り返ると、どんなふうに生活を成立させていたのか疑問です。

金銭的な支援は親から受けていませんでした。

そしてこの怒涛の生活は私の「うつ病」で幕を閉じたのです。

会社は悪くなかったと思います。

悪かったのは私が「できません」や「疲れました」「休みを下さい」を言えなかったところです。

会社はゆっくり休んでくれと復帰するには十分な時間を与えてくれました。

しかし、私の気持ちはもう同じフィールドに戻る余裕を取り戻せなかったのです。

「退社」という決断をし、沢山の方々に迷惑をかけて初めての就職先を退職したのです。

この時期はいつ思い出しても辛いです。

しかし少しくらい大変なことがあっても、「あの時よりはましだ」と思える体験になっています。

その後、30を迎えるまで10年間に更に色々なことがありますが、幾度となく困難を乗り越えてこれたのは、この時の「辛い経験」があるからです。

私の人生の中で唯一この時は「逃げた時」だと思っています。

社会人、2回目の就職

椎間板ヘルニアで入院、車椅子での1ヵ月の入院期間

退職した私ですが、早急に一人暮らしの家を引き払い実家に戻りました。

そんな私にすぐに地元の知り合いから「一緒に仕事をしないか」の誘いが来るのです。

「うつ」で布団から出れない生活が2週間程過ぎたあたりで、布団の中にいる私の元へ電話が来たのです。

とっても信頼できる、知り合いからの誘い。

このまま布団の中で泣いていても仕方ない…。

立ち止まりたくない私はすぐに引き受けることを決意し、仕事を始めました。

知り合いからのオファーは、新しい飲食店を立ち上げるというものでした✨

人生の中でなかなか経験できないチャンスだと思いました💙

店舗立ち上げに奮起する私ですが、前会社の過労の積み重ねで壊していた腰がこの頃から悪化します。

「椎間板ヘルニア」です。

店舗の立ち上げに向け着々と準備を進めましたが開店2日前にいよいよ歩けなくなり病院へ行き、即効入院と言われます。

身体のすべてのバランスが崩れたようで、もう歩けませんでした。

結果1ヵ月入院し、車椅子生活を余儀なくされます。

もう心も体もズタボロでした。

何よりもせっかく仕事に誘ってくれた仲間に迷惑をかける…

肝心な時に役立たずな自分…

何もかもが中途半端な気がして辛かったです。

一度立ち止まって心と体を整理するべきでした。

18歳から走り続けた私はこの1ヶ月の入院生活で変われるのでしょか…。

結果は”変われなかった”でした。

1ヵ月の治療で劇的に良くはなりませんでしたが、まぁ少しはましになったかな?と考えた私は退院し、足を引きずった状態で仕事に戻りました。

若さで何でも乗り越えていた時期です。

とにかく立ち止まりたくなかったのですね。

椎間板ヘルニアは治療方法にさまざまな意見があります。

手術も勧められましたが、手術は絶対にするべきでないという意見もあります。

電気治療やハリ治療で誤魔化したり、牽引などもしました。あとはブロック注射を何発も打ちました。

職場の人や知り合いは私の腰痛を心配して様々な治療法や腕のいい先生などを紹介してくれました。

根本的にすごく良くなったという事はありませんでしたが、入院した日(お店のオープン2日前)と比べるとだいぶマシになったと信じていました。

「私は働ける」

「私は大丈夫」

周りの人は優しいので「大丈夫?」としか言いませんが、

中途半端な状態で戻ってこられても困るであろうに…そんなことには到底気づけませんでした。

そこから私の腰痛と付き合いながらの飲食店勤務が始まります。

一体何故この数年後にカナダへワーホリに行くことになったのかは別記事でご紹介しております💗

ワーホリへ行く意味は?目的は?ワーホリに行く前にやること!
みなさんこんにちは💗うたこです✨ 今日はこちらで、 私が「ワーホリ行き」を決意した理由やその後...

うたこが英語の勉強に出逢う前の人生でした✨

このSTORYが私の”今”に繋がっています。

私の”今”を励まし続けてくれている辛い経験達なのです。

長々お読みいただいた方、ありがとうございました💙

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